(Continued)

 賢治の人生でもっとも重大な出来事は妹とし子の死であることは間違いない。忘れてはならないことだが、賢治は恋愛や性愛に特別な関心を示さない男だった。日本のどの時代の主な作家を見ても、作品のなかで性愛にまったく触れない、また二人の成人間の愛の心にほとんど触れない作家は賢治しかいない。富豪家に生まれ、教師という尊敬される職業についていた賢治が結婚できない筈はなかった。実際、少なくとも二度は見合いの話があった。しかし賢治は妻や家族を養う責任を担うには、自分は病弱すぎると考えていた。1922年11月にとし子が25歳にして結核で他界したとき、賢治は彼の詩のなかでもとくに有名な3編の詩を書いている。とし子が死亡した夜に書かれたと言われており、その1編にはへんに明るい光をおびた冷たい旅がうたわれている。

 けふのうちに
 とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

 "もっといい所"へ旅立つとし子を確信する賢治だから、その死を甘受することができたであろう。たしかに死は生の終焉ではなく、輪廻の一段階にすぎない。

 蒼鉛いろの暗い雲から
 みぞれはびちょびちょ沈んでくる
 ああとし子
 死ぬといふいまごろになって
 わたくしをいっしゃうあかるくするために
 こんなさっぱりした雪のひとわんを
 おまえはわたくしにたのんだのだ
 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまっすぐすすんでいくから

 翌年、賢治は当時日本の領土だったサハリンへ船旅に出たが、心に秘めた旅の目的はとし子を忘れることではなく、むしろ妹を探し求めることだったにちがいない。

 冷たいオホーツク海の海上で、賢治が死者の魂の本当の自然な状態を理解できるようになったと考えたとしたら、それは後に書いた名作『銀河鉄道の夜』で作り上げた想像の世界のあの状態だったのだろう。この美しい物語は寓話である。ジョバンニという少年がカムパネルラという名の親友といっしょに天を走る鉄道列車に乗って旅をする夢を見た話である。
 賢治は二人の主人公にイタリアの名前をつけている。(もっともカンパネルラは名字だが。)この物語のなかには日本名の人物も登場するが、ストーリーの流れから見ると明らかに、いろいろな点で普遍的な設定の物語になっている。
 二人の少年は、空に住んでいたり、それぞれの目的地に向かって空を旅している風変わりで魅力的な人々に出会いながら、北の星座から南の星座に向かって汽車の旅を続け、その途中で火や光のおりなす劇的で美しい光景や出来事を目にするのだった。ジョバンニは汽車がどこへ向かっているのかも知らず、また、車掌が切符を切りにきたとき自分のポケットに小さく折り畳んだ紙が入っているのに気づいて驚く。二人の少年はびっくりしてその紙を見つめていたが、「だまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がする」のだった。すると、天の川でさぎを捕まえては、平たく押しつぶしておいしいお菓子にしてしまう、質朴そうな鳥捕りが言った。「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ」
 「ジョバンニの切符」は『銀河鉄道の夜』の最後にあるもっとも長い章である。不思議にもジョバンニのポケットから出てきた折り畳んだ緑の紙きれは、賢治にとって異次元の世界へ往復するパスポートだった。北方のサハリンに向かって北海道を発ったとき、彼はおなじような切符を手に握りしめていたに違いない。
 一瞬のうちにカムパネルラは汽車から消えてしまった。ジョバンニは置いてきぼりにされたような気持ちになる。結局、二人の少年は地球の端を越えて一緒に旅を続けるつもりではなかったのだろうか?
 ジョバンニは町を見下ろす丘の草原で目を覚ました。町ではまだ祭りが続いている。彼は川へ降りて行った。そこで、少年が川に落ちてまだ見つかっていないという話を聞かされる。その少年とは、もちろんカムパネルラだった。

 物語の結末で驚くべきことは、息子の死に直面したカムパネルラの父親の態度である。彼はわずか45分後に息子の死を受け入れている。そして、時計をかたく握りしめながらも、礼儀正しくジョバンニの父親のことを尋ねるのだった。ジョバンニの父は刑罰を受けて北へ旅行していたらしいが、近々帰ってくることになったからだ。カムパネルラの父は翌日遊びに来てほしいとジョバンニを招いた。おそらく通夜にほかの子供たちも来ることを予期してのことだろう。話しながらも、カムパネルラの父は「川下の銀河の一ぱいにうつった方へじっと眼を送」る。
 賢治は深い悲しみに沈んでいるときこそ、死者や自分のことを考えないで、他人の幸福を考えるべきだと自分に言い聞かせることで、妹の死の悲しみを乗り越えようとしているのである。物語は「午後の授業」という章で始まる。授業は夜になってようやく終わった。
 「下流の方は川はばいっぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままのそらのように見えました。---------ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がして仕方なかったのです。」