時代を越えて

 地球から63光年はなれた超新星の輝きのように、宮沢賢治の人気はなぜ突然光輝を発するようになったかを理解するためには、彼の生きた時代や場所も含めて賢治を考察しなければならない。賢治は農村地帯の花巻を日本国内の他の発達した地域と同じ水準に引き上げたいと心血を注いだのである。友人宛ての手紙で化学肥料の使い方についてくわしい科学知識を伝えている。死ぬ直前の、かなり苦しい時期にも、どうすれば稲を改良できるかについて地元の農民と活発な議論をした。農業技師として自分のアドバイスが不十分だと感じたときは、助力してやれなかった農家をまわって包んだお金を置いてきた。賢治は各個人の自覚に大きな信頼をおいていた。「農民芸術概論」で詩の形式の長文で誓いを述べている。

 正しく強く生きるとは
 銀河系を自らの中に意識して
 これに応じて行くことである

 言い換えるなら、美辞麗句を学び、誓いの儀式を型どおりおこなうだけでは人々にとって十分ではない。自分で宇宙を心に思い描き、その中に自分なりの真実を見つけなければならない。そうすれば、世界のみんなが幸福にならないうちは個人の幸福はありえないのだと悟るだろう。さらに、もし必要ならば、サソリ座の赤い超巨星アンタレスのように、人類のためなら何度でも我が身を焼かねばならないのだ。
 これこそ、90年代の人々へ残した賢治のメッセージの鍵である。人は自分の苦痛を顧みず、火山の斜面を登って科学的、社会的実験に我が身を呈しなければならない。人はもし必要ならば、太陽まで行って「黒いとげ」を持ち帰り、人に役立てるためそのエネルギーを活用しなければならない。
 賢治の物語の登場人物たちはまさにそうしている。もっとも、賢治はあきらかに自分の意志を伝える媒介者として登場人物……ペンネンノルデ、オッペル、ゴーシュなどという名の一風変わった人物たち……を利用している。彼の信じる法華経がおなじ意図で彼を利用した……そして、それに殉じて死なせた…ように。
 意識革命の進みつつある今日の日本を見ると、宮沢賢治の生き方、考え方に多くの人々が引かれる原因が理解できる。少数派や身体障害者、虐げられ軽視されている人々の苦しみに無関心に見えるのに、うわべの感動や情熱を示す年長世代の狡猾さを、とくに若い世代が目撃してきた。日本の役人たちは表向きには、社会システムのなかで犠牲となっている人々の救済について堅苦しい言葉で説明し、使い古された決まり文句の約束もしているが、彼らの窮状を改善しようとする意志は感じ取れない。
 賢治は信念をつらぬく勇気を持っていた。もっとも、その信念は時として過激だったり、排他的だったりしたことは認めざるを得ないが、しかし、彼は身も心も信念にささげたのである。このような生き方が今の日本の物思う人々の心にじかに訴えてくるのだ。その意味で、賢治ブームそのものが日本における個人の意識改革の新しい幕開けを告げていると言えるだろう。集団のなかにいると安心し、不器用な褒め言葉からもあくどい非難からも身をかわして、仲間のなかに逃避する傾向は日本社会構造が持つ劣性遺伝子になりつつある。もし、ボランティア活動、差別された少数派との一体感、個人としての行動に重きをおく新しい意識が確立すれば、古い日本的な“同情”を不自然に飾りたてるレトリックはすたれるだろう。この意識に基づく立場を取り、それによって行動すれば、賢治が説いたライフスタイルに近づくことになる。それこそ、まったく異なる時代の情況のなかで読み取れる賢治の遺産の内容である。
 宮沢賢治が作った心象(イメージャリ)は光の粒子で書かれている。もし人間が光をバトン代わりにしてリレー競争をできるなら……たとえほんの一瞬でも……光のバトンをつかみ、握りしめ、そして、ファンファーレなど鳴らさずにそっと、次の人へ渡すことができるのだが。

(おわり)