宮沢賢治、信念を貫く反逆児
ロジャー・パルバース
宮沢賢治ほど自然から学び、自然を描いた日本の現代作家は、彼以前にはいないだろう。賢治は自然に抵抗する態度も日本古来からの詠嘆的手法も取らず、自然を観察し、自然に同化し、そしてそれを再現した。短編集『注文の多い料理店』の序文で、賢治は自分を自然現象の混沌とした作用を伝える実験的な媒体だと称している。自然そのものを再生するための単なる媒介者だと見なしているのだ。
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」これは1923年に彼が書いた文章である。
『外光派』の作家および詩人として、賢治は故郷の岩手県のなだらかな農地や湿地から起伏に富む山々まで歩き回っては、彼の言葉を借りるなら、心象スケッチを描いた。そしてさらに進んで、自分自身を照明にたとえている。
わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です。
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です。
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
|