Q. 初期短編のひとつ「猫」で「私は猫は大嫌ひです。」と賢治さんは書いています。でもそれにしては、「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」「猫の事務所」「セロ弾きのゴーシュ」といったように、猫や山猫が出てくる物語が多いですね。賢治さんはいったい猫をどう感じていたのだとお思いですか。

実に人間くさく、わかりにくい存在だが、憎みきれないキャラクターだと思っていたと思う。(oko/yuri)
何か得体の知れないもの。神がかっているというか...畏怖の念。(amichan)
わがままで狡猾、しかし、優美で魅力的。 自由奔放で何物にも縛られず、自分の好きなことしかしない。(みちえ)
いじわるなやつ だってあの猫の事務所に出てくる猫は、すごくいじわるなんだもの(ひろりん)
猫に限らず、動物をペットとして可愛がるタイプの人ではなかったように想像してます。猫が嫌い、というよりは、猫に特別興味がなかったということなのではないでしょうか。(ざしきぼっこ)
とても威張っている権力者、権威者の代表的存在として見ていたのではなかろうか。でも、憎んでも憎みきれない哀れな対象(お父さん、政次郎)として見ていたのかも知れない。(yodaka)
あまり良い役柄ではないような気がします。好きだけど、愚かなものとも感じていたのでは?(センダードン)
自分本意の気ままな生物。でも、膝の上に寝ているときは可愛い。(八周)
『猫』の作品から想像すると、ぐにゃりとした身体の柔らかさとか、静電気を発する毛並みとかが嫌いだったように思います。あとは、猫は気まぐれ、勤勉じゃない、化け猫のイメージなど、いろいろな要素からあまり好きではなかったのかな、でも反面、その気楽さ、気高さが、羨ましくもあり、ステキでもあり、って感じていたのかもしれません。(ぶつ吉)
小憎らしいけれどいつでもどこか身近にいるもの。 いなかったらいやなんじゃないのかな。とおもいます。(ひろみ)
聞くところによれば、本当に嫌いだったようです。が、猫に対する愛情さえ、感じるのは、なぜでしょう。(ぺんねん)
竈猫はかわいく描いてくれているので、一概に大嫌いだとはおもえない。わかりません。(片瀬)
猫を物語に出すことで書いた話に距離を置こうとしたのかもしれない・・。(??)
賢治さんの行動は猫ににていると思います。猫を飼ったことはないので本当にそうかはわかりませんが、生徒や友人のふりまわし方、ふらっとどこにでも行っちゃいそうなところなど。でも、人間の持つしがらみが多くて、こうあらねばという心の中のとらわれも強くて、猫になりきれなかったのではないでしょうか?賢治さんは、自由な人というイメージも強いけれど、反面、いろいろな物に束縛されているイメージもあるもので、勝手にそう思いました。でも、賢治さんの書かれる猫は、それぞれイメージが異なると思います。なので、ひょっとしたら、混沌が吹き出してくるような、何でもありのイメージを持っていたのかもしれないな、だからこそひかれたのじゃないのかな、とも思います。(はるかりお)
かわいいけれど憎らしいものだと思っていたのでしょう。(梨影)
猫は、都会にいる放恣な階級の現れだとおもいます。西洋かぶれだったり、ホワイトカラーのしごとについていたりします。そのため、農民側にたとうとする賢治さんからみれば、猫という存在は、都会的なものの象徴だったのではないでしょうか?(megumi)