Q(5)このサイトで昨年末に行った賢治アンケートの結果では、「グスコーブドリの伝記」は「好きな作品」の5位に入っています。そして「好きな理由」の中で「ブドリのような、自己犠牲に基づいた科学を志したい」と言う方がいる一方で、「嫌いな作品」として「グスコーブドリの伝記」をあげ「結末がなっとく行かない。 死なんでもいいやん。」と言う方もいました。
この作品についての感じ方が両方に分かれている訳ですが、どう思われますか。ご意見をお聞かせください。(編集部より)

A
Date: Sun, 06 Apr 97   鎌田敏輝さん


Date: Sun, 06 Apr 1997
   鎌田敏輝

どんな作品にもモチ−フというものがあります。そのモチ−フを知って読むのと、そうでないのとでは、その作品から得るところのものは違ってくるでしょう。 「グスコ−ブドリの伝記」では自己犠牲の美しさが強調され、そこに感激した人が多かったことは皆さんの感想文を読んでよく解りました。もちろんそのことは私も同感です。同時に、他を省みず自分さえよければという利己主義的な考えが横行する現代で、多くの人が自己犠牲という行為そのものに感激する資質を失っていなかったということについて少し安心しました。今一つこの童話でテ−マとされていることは、科学のあるべき姿、可能性であり、科学(科学者)は真に人を、世界を救うことが出来るかということがモチ−フとしてあるということです。もっと突き進めていえば、科学者は宗教者たりうるかという問いが、この童話には蔵されていると思います。宮沢賢治の偉いところは、夢や理想を単に観念の世界でもてあそぶのではなくして、必ずその実現に向けてのテクノロジ−を構築しようとしたところです。そして、グスコ−ブドリの最後にみられるように、そのテクノロジ−も気高き精神、最高の霊性に導かれねばならないことが象徴的に語られています。私はブドリが、最終的に自分の身を挺して人を救おうとした行為を、いつの時代にあってもすばらしい行為であると賞賛したいと思います。賢治は信仰を持った人間ですから、自らの生を今生一代限りのものとは考えていないでしょう。彼の永遠のテ−マとしてある農民の救済ということも、自分一代の生ではとても成しえないことだと考えていたに違いありません。彼は常にいっています。神通力で何度でも人間に生まれ変わってきて農村を救済したいと。またいつか必ず岩手を七色の光線で区切る世が来るんだと。自分の身を捨て、そして次の生でも、次の次の生でも正しい信仰を持ち、精進を続けてこそ本当の救済が成就するのだという風に考えていたと思います。彼は本当に真剣に農民の救済を考えていたと思います。しかし彼はマルクス主義には走らなかった。この物語も、プロレタリア文学という創作意図を得たならば最後の結末も変わっていただろうと思いますが、彼はやはり宗教者だった。この作品に対して相反する感想があるのも、つまるところ宗教的か非宗教的かの感性の違いになるのではないでしょうか。

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