岩手山


奥羽山脈
1. 北上山地
2. 阿武隈山地
3. 八溝山地

4. 羊蹄山火山地域
5. 駒ヶ岳火山群
6. 岩手火山群
7. 吾妻火山群
8. 那須浅間火山地域

9. 恐山山地
10. 奥羽山脈
11. 渡島山地
12. 津軽山地
13. 出羽丘陵
14. 朝日飯豊山地
15. 上越山地(越後山地)
16. 越後丘陵
17. 奥尻海嶺
18. 佐渡海嶺
19. 西頸城筑摩山地

 火山フロントの西側にだけ火山が分布する。東側の北上山地は、奥羽山脈とまったく違った性格の古い地塊である。

「日本の山(日本の自然2)」(岩波書店)の図を
「日本の自然 地域編2 東北」(岩波書店)より再引用

 奥羽山脈は、北から八甲田山、八幡平、岩手山、秋田駒、焼石岳、栗駒山、蔵王などの火山が連なる日本の代表的な火山帯である。山裾には、温泉が数多く並んでおり、賢治が生徒達を連れて遊んだ花巻温泉も火山帯の産物である。
 日本列島の現在の形ができたのは第3紀の中頃(おおよそ2千600万年前)で、太平洋プレートの圧力で大断層や火山の爆発(造山運動)が生じ、奥羽山脈が生まれ、東側の北上高地一帯とは生成の異なる地層ができあがる。それ以前には奥羽山脈となる地層は海中にあった。

岩手山
 「南部富士」と呼ばれる岩手山は、長い裾野を持った美しい山で、特に、盛岡側から見ると富士山によく似ている。山頂には幾つかの火口があり、古い西岩手山の火口(御苗代湖)は水をたたえている。東岩手山の新しい噴火口(御鉢)の周りには岩手山の主峰薬師岳を含む外輪山があり、それを巡る「お鉢巡り」について賢治は美しい詩(「東岩手火山」)を残している。これは農業高校の生徒たちを連れて、夜行登山をしたときの記録である。
 岩手山は、小岩井牧場のある南側から見ると西岩手山の外輪山の鬼ヶ城が見える、荒らしい姿も持っている。もともと鷲の形をした岩があるので「巖鷲山」と言われていたが、岩手の字に変わり、岩手県の県名の由来となった。江戸時代の旅行家菅江真澄は、「巖鷲(がんじゅ)の音よみを、同音の岩手と書いていわてというのは、今の世の誰かが取り違えたのであろう」(平凡社「菅江真澄遊覧記」)と書いている。

 

焼走熔岩流

(写真提供:奧田博氏)
 岩手山は今でも生きている火山であるが、江戸時代(1719年)に東岩手山の山腹にできた小さな寄生火山が噴火している。当時の人たちが「焼走熔岩流」と名づけた、そこから三キロ近く流れ出た熔岩流は、今は天然記念物になっている。賢治がこれを見て書いた詩が詩集「春と修羅」に入っている。

「鎔岩流」
「喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から
畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒
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けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さえも見えない
わたくしがあぶなく一一の岩塊(ブロツク)をふみ
すこし小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきた冷たい風はみねから吹き
雲はあらわれてつぎつぎと消え
いちいちの火山塊(ブロツク)の黒いかげ」
〜ちくま文庫「宮沢賢治全集」1

「狼森と笊森、盗森」の舞台である姥屋敷から見た岩手山。
季節が違って雪をかぶっていませんが。
 「狼森と笊森、盗森」では、森に囲まれた野原に新たに村をつくった農民たちから盗森が粟を盗むが、それを上から見ていた「銀の冠をかぶった岩手山」が「ぬすとはたしかに盗森に相違ない。-----粟(あわ)はきつと返させよう。だから悪く思わんで置け。一体盗森は、じぶんで粟餅(あわもち)をこさえて見たくてたまらなかつたのだ。」〜(ちくま文庫「宮沢賢治全集」8)といって笑う。

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