編集日誌 No.110より

「春と修羅・序」は、野心的な試みの書「春と修羅・第1集」を世に送り出すに当たっての賢治の宣言文と言え、特異な世界認識についての自負を人を食ったようなユーモラスな調子に包んでいるためか、きわめて錯綜した詩になっていて、賢治のこめたメッセージを読みとるのはとても難しい。しかし、各所に鮮烈なイメージがあるため、自分たちなりに解読したくなり、何度となく読み返すうちに、だんだん謎が解けていく。
(私たちのこれまでの解読の試みは「賢治の作品世界/時空」に掲載してある。)

 「宮澤賢治への接近」(河出書房新社)の著者、近藤晴彦さんは、「春と修羅・序」のそんな「謎」に引き込まれて、賢治作品を精読するようになった人だ。
賢治全集を購入したものの手にとることのなかった近藤さんは、50歳代のある日、古本屋で「春と修羅」の復刻版を見つけて購入し、序を読んで強烈な印象を受け、それ以来、賢治作品の解読に熱中することになったという。
「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/----」で始まる序を読み、「直覚的に沸き上がってくるのは、レーザーの照射を受けて青白く浮かび出てくる人体の立体像であった。」そして「闇の空間を泳ぐ美女、その美女にこちらから手を差し出すと、手は相手の手を通り抜け、胴体も突き抜いてしまう。現象はある、しかし、"実体"はない。」というイメージを近藤さんは思いうかべた。
 この序の冒頭で賢治が言おうとしているのは、「存在と認識の対置ではなく、人間の意識の場に映る現象こそが唯一の真実であり、その現象の連鎖と複合とが人生であり、人間そのものであるという見方」であり、これは現在ではそう目新しくないかもしれないが、賢治の時代には、画期的に革新的だったと言う。そして、その後の議論で、近藤さんは、「わたしくといふ現象」について「意識のスクリーンに照射された」現象という表現をたびたび使っている。

 近藤さんの、「意識のスクリーン」、「レーザーの照射を受けて青白く浮かび出てくる」像と言ったイメージに影響されて、私も「序」の冒頭についてのやや突飛な仮説を思いついた。「ひとつの青い照明」を映写機の光源と考えてみたらどうか、という仮説だ。
 「風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流の/ひとつの青い照明です」という部分について、「照明」が「風景やみんな」という外部の対象を照らし出している、と読むのが普通かもしれないが、そうではなく、「ひとつの青い照明」が光源となって、スクリーン上に、「風景やみんな」を写し出している、という読み方もできそうだ。そう思うと、「せはしくせはしく明滅しながら」は、コマ数の少ない映画の不連続な映像を想起させるし、「(あらゆる透明な幽霊の複合体)」という表現は、映像が惹き起こすイメージのうごめきを連想させ、とらえやすくなる。
 また、「わたしくといふ現象」を映画の映像のイメージでとらえると、つぎの「これらについて人や銀河や修羅や海胆は---」という部分につづく「それらも畢竟こころのひとつの風物です」という表現へのつながり具合も円滑だと言える。  この理解があたっているかどうかは別にして、賢治は、自分が体験する現象を映画の映像のように見る、そういう見方をしばしばする人だったのではないか。「心象スケッチ」という方法は、そういう見方、感じ方から生まれているように思える。

 大岡信さんの「日本詩歌紀行」(新潮社)の中に宮沢賢治をとりあげた章「丁丁丁丁丁」がある。その中で、「実際、私の経験についていえば、賢治の詩は、手の切れるような物質の新鮮なイメジと感触に満ちていながら、ふしぎに人をいらいらさせ、不充足感を呼びおこす要素をもっていると思うのである。それはたぶん、彼の詩が、もともと情緒を満足させ、鎮静させる目的で書かれているものではないという事実によっているのだろう。つまり叙情詩とよばれる種類のものとは違う立脚点において、彼の詩は作られていた。」と書いている。そして、その点で、賢治が彼の詩を「心象スケッチ」と呼んでいたのは、正確だったと大岡さんは言う。
 賢治のこうした「この国の伝統的な詩歌の体質とは非常に異質なもの」をよく示す例として、少年期の短歌をあげている。同年輩の少年の短歌に較べて、センチメンタリズムの影があまりに希薄で、かわりに、「幻聴的あるいは幻視的な感覚が、ひたひたと歌を包んでいる」ことを、大岡さんは指摘する。
 つまり、そうした特異な心的な経験に対して距離をとる姿勢から、「わたくしといふ現象」を映画のように見る視点、それと不可分な「心象スケッチ」という方法が生み出されているのだと思われる。それは、当然、叙情的な姿勢と大きくことなる。
 特異な心的な経験を冷静な観察者の眼で描き出していくことによって、賢治の詩も物語も、優れた説得力をもつことになった。