編集日誌 No.76より

 小渕首相の施政方針演説の中に「銀河鉄道の夜」の一節が引用された。いったいど ういう風の吹きまわしかと思ったら、「21世紀日本の構想」懇談会の座長をやっている河合隼雄さんに触発されたためのようだ。
 小渕さんはさておいて、心の深層についての洞察力をもつ河合さんが宮沢賢治をどう読むかというのは、とても興味深いところだ。しかし、河合さんはところどころで賢治について書いたり話したりしているものの、本格的に掘り下げた賢治論はまだ書いていないのではないだろうか。
 河合さんと「銀河鉄道の夜」についても、妙な言い方だが、今のところ、河合さんが「銀河鉄道の夜」について書いたものを読むより、河合さんの本格的な著作と「銀河鉄道の夜」を関連づけて読んでみる方が面白い発見があるように思う。
 たとえば河合さんには、「ユング派心理学と仏教」(岩波書店)という労作がある。
 この本によると、河合さんはチューリッヒのユング研究所に出かけてユング派の心理学を学び、1965年に帰国してから心理療法をはじめたが、もともとはキリスト教に対する関心の方が強く、仏教に対しては拒絶意識をもっていた。しかし、心理療法の仕事をしているうちに、自分のしていることは何なのかを考えるために、仏教の教えが役立つことに気づくようになったという。
 最初のころはクライエントを「箱庭療法で治す」といった考えに陥ることがあったが、そういう意識はクライエントとの関係をこわしてしまうことを知って、「心理療法で誰かを『治す』ことなどできない」とはっきり考えるようになったことに、そのきっかけはある。つまり、「心理療法で大切なことは、二人の人間が共にそこに『いる』こと」であり、「その二人の間は『治す人』と『治される人』として区別されるべきでは」ない。「二人でそこに『いる』間に、一般に『治る』と言われている現象が副次的に生じることが多い」(P.53〜54)というのだ。こういう人間どうしのつながりについて洞察するのに、華厳経などの大乗仏教から河合さんは大事な示唆を得た。
 そして、仏教から学びながらクライエントと関わる経験を重ねるうちに、「私は今はクライエントの症状がなくなったり、問題が解消したりしたとき、やはり喜びますが、根本的には、解消するもよく、解消せぬもよし、という態度を崩さずにおれるように」(P.197)なったと河合さんは書いている。

 こういう表現を読んで連想が「銀河鉄道の夜」におよび、北のはての海で溺れて少年、少女といっしょに銀河鉄道に乗ってきた家庭教師や、彼の話に耳を傾けた燈台守のことを想いおこしたとしても不自然ではないだろう。家庭教師の青年は、客船が沈没しかかった大混乱のなかで、他の子供たちを押しのけてふたりを助けるより、そのまま子供たちが死んだ母親のところに行くのにいっしょについていくことを選んだ。その話を聞いて燈台守は、「なにがしあわせかわからないです。ほんたうにどんなにつらいことでもそれがたゞしいみちを進む中でのできごとなら峠の上り下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」となぐさめる。目立たない人物だが、銀河の一庶民である燈台守は、苦難に充ちた辛い体験を語る青年の話のよい聞き手であり、心のこもった言葉で彼の話を受けとめている。この燈台守は、河合さんの言う、クライエントの話を聞く治療者にあたる役目を誠実に果たしている。
 また、子供たちの命を救うことができなければ、死者の国への道を一緒について行ってあげるという家庭教師の姿勢も、クライエントの症状が「治る」かどうかではなく、「人間が共にそこに『いる』こと」がいちばん大事だという河合さんの心理療法についての考え方と共通するところが大きい。「異空間の現象の流れと銀河鉄道の乗客」で書いたように、ジョバンニもこうした人たちと銀河鉄道に乗りあわせたために、「共に経験する」ということの意味を学んだのだ。
 そして「イギリス海岸とプリオシン海岸」で書いたように、「銀河鉄道の夜」の家庭教師の姿勢は、賢治自身が農学校の生徒たちに接する時のものだったのだ。賢治は北上川のイギリス海岸と名づけた川岸に生徒たちをよく連れていったが、泳ぎの下手な賢治は「もし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、たゞ 飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐた」(「イギリス海岸」)というのだ。
 現代の教師だったら、「なんと無責任な」と親たちに責められるかもしれないが、賢治は教師と生徒の関係においても、「人間が共にそこに『いる』こと」がいちばん大事だと考える人だったということがわかる。