編集日誌 No.91より

 「徒然草」の第89段に『「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる」と言いけるに----』という話がある。「奥山に猫またがいて人を食う」ということを聞いて、自分も独りで歩くので気をつけなくては思っていた坊さんが、夜遅くまで連歌をして、手に入れた賭物の扇や小箱を懐に入れて帰ってくる途中でへんなものに飛びつかれ、「猫またが出た」とすっかり肝をつぶし、川に落ちてしまい、ほうほうの態で助け出された。じつは飼い犬がじゃれついたのだった、という話だ。
 これに類する猫又の話が、賢治の「注文の多い料理店」の背景にあるのではないかと以前から考えていた。兼好法師が記しているのは京都のことだが、「奥山に猫またがいて人を食う」という話は、さまざまな形の民話として各地方に伝わっている。そういうもののどれかを賢治は聞いていて、それが種子となって「注文の多い料理店」が生まれたのではないか。そう思って、東北に伝わる猫又の出てくる昔話を調べたことがあるが、どうもピンとくるものが見つからなかった。
 最近、出版された河合隼雄さんの「猫だましい」(新潮社)には「宮沢賢治の猫」という章の前に「日本昔話の中の猫」という章があり、河合さんは「猫又屋敷」の話に賢治の「注文の多い料理店」との類似性を感じると書いてあった。
 これは、下女が猫をかわいがっていたが、奥さんにいじめられて猫がいなくなっていまい、下女が九州の山の中に猫を探しに行く話だ。下女が山の中の立派な家に泊めてもらうと、隣の部屋から話声がする。唐紙を少しあけて覗くと、二人の美女の姿の猫が寝ていて、「今日来た女はかわいがった猫を訪ねてきたそうだ。だからかみついてはいけない」などと言っているのが聞こえ、恐ろしくなるという場面がある。この恐ろしさが、「注文の多い料理店」に似ていると、河合さんは感じたようだ。
 しかし、もっと「注文の多い料理店」に近い、猫又の昔話がありそうにも思える。