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インドラの網

幻想的な経験を観察する科学者の眼
 賢治の作品では、冷静な観察者の視点とファンタジーの世界とがさまざまな形で結びつけられている。「インドラの網」では、空気の希薄なツェラ高原を1人で歩く「私」の意識がもうろうとし、幻想的な世界に半ば踏み込んでいるが、その心の状態を科学的な見識をもった「私」が観察している。そういう語り方がされている。

高原の湖  日が沈み、薄暗くなりつつある高原を歩きながら、「私」は自問する。「(私は全体何をたづねてこんな気圏の上の方、きんきん痛む空気の中をあるいてゐるのか。)」しばらく歩くと、湖に出くわす。水辺の砂は、歩くときしきし鳴る真っ白な石英の砂だ。水を手のひらにすくうと青白く燐光を出す。「(こいつは過冷却の水だ。)」と科学者の「私」は心の中でつぶやく。 氷点より温度が下がっているのに凍っていないのだ。
石英の砂と銀河の照応




天翔る天人
















3人の天の子供
 いつの間にかすっかり夜になり、桔梗(ききょう)色の空には金剛石や黄水晶のかけらのような星がちりばめられ、足もとの砂もちらちらとまたたき、「ツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部」のようだ。 そのうち早くも、夜が明ける気配になる。そして「私」には桔梗色の空間を天人が翔(か)けるのを見て「(たうとうまぎれ込んだ、人の世界のツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)」と胸をおどらせる。そして天人の衣の動きを見て、「(ははあ、こゝは空気の希薄(きはく)が殆(ほと)んど真空に均(ひと)しいのだ。だからあの繊細な衣のひだをちらっと乱す風もない。)」と「私」は思う。 その天人が見えなくなってしばらくすると、今度は3人の天の子供が現れる。羅(うすもの)のひだの具合から、ガンダーラ系統で、コウタン大寺の廃趾から発掘された壁画の3人であることが「私」にはわかる。
日の出の太陽のスペクトル製の網  やがて、高原のはてから、「古びた黄金(きん)、反射炉の中の朱、一きれの光るものが現れ」、天の子供らがそちらに合掌する。厳かな太陽だ。子供らはかけまわり、「ごらん、そら、インドラの網を。」とひとりが空を指す。「いちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛(くも)のより細く、----透明清澄で黄金で又青く幾億互に交錯し光って顫(ふる)へて燃えました。」
ちくま文庫「宮沢賢治全集 6〜『インドラの網』」より

「インドラの網」と天の子供ら

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