地質学の太古と元型的な生き物のイメージ

二千年後から見た現在と地質学的なイメージ
 「春と修羅」が書かれた「春と修羅・序」の「二十二箇月」を太古からの遠大な時間の中におく部分の後、序の終わりに近いところで、今度は心象の時間が遠い未来にのびていき、そこから過去をふりかえる。
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白亜紀砂岩の層面に
透明な人類の足跡を
発見するかもしれません
 この部分では、賢治の心象の時空の興味深い特徴が現れている。太古の時間からの流れの中に最近の「二十二箇月」をおく時に、「けれどもこれら新生代沖積世の/巨大に明るい時間の集積のなかで」という地質学的なイメージが用いられたが、遠い未来から現在をふりかえる時にも、やはり「すてきな化石を発掘したり/あるいは白亜紀砂岩の層面に/透明な人類の足跡を/発見するかもしれません」といった地質学的なイメージになる。ただし、遠い未来は賢治の心象の空間では、「気圏のいちばん上層」と結びついている。
ユリアとぺムぺルの巨きなまつ白なすあし  この白亜紀の足あとというイメージは、「小岩井農場」の最後のパート九では、ユリアとペムペルの幻想の所に出てくる。
  ((幻想が向ふから迫つてくるときは
  もうにんげんの壊れるときだ))
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう    ((あんまりひどい幻想だ))
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
 「小岩井農場」の中で、賢治は幻想(幻覚)に不安をいだいているが、この部分では、ユリアとペンペルという懐かしいイメージに出会えたことで小岩井農場に出かけてきた甲斐があったと感じている。この「巨きなまつ白なすあし」の生き物は、賢治の心の深層から現れる元型的なイメージであるらしい。そして、賢治にとっては、こうした元型的な存在の足跡と「白亜系の古い海岸」が結びついている。
とし子がのぼっていった空間の巨きなすあしの生物たち  「オホーツク挽歌」で、死んだとし子がのぼっていったと賢治が感じる天上の様子をたどっていくところでも、「また瓔珞やあやしいうすものをつけ/移らずしかもしづかにゆききする/巨きなすあしの生物たち」というのが出てくる。
 このように、賢治の心象の空間では、心の深層の元型的な存在は「気圏のいちばん上層」に現れることが多いようだ。また、この気圏の上層の元型的なイメージは一方では、「白亜紀」といった地質学的な遠い過去と結びつけられると同時に、遠い未来とも結びつけられる。気圏の上層では、遠い過去と遠い未来がつながっているようでもある。
ちくま文庫「宮沢賢治全集1〜『春と修羅・序』『小岩井農場』」より

「小岩井農場」における心象の時空


時 空
賢治の作品世界
宮沢賢治の宇宙