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コミュニタスとしての銀河鉄道の夜

多彩なモチーフで描かれた物語
 「異次元を旅するジョバンニの感情」の項で書いたように、「銀河鉄道の夜」では、さまざまなモチーフが重なりあっていて、それが星空を旅するジョバンニの歓喜と何かわからない悲しさと不安といったさまざまな感情の混じりあいや転調と不可分の関係にある。
 さまざまなモチーフの例として、銀河鉄道が異次元をどこまでも旅していく列車であると同時に死者を他界に運ぶ通路でもあるということを書いたが、それだけではない。「銀河鉄道の夜」から、もっと多様なモチーフを読みとることができる。

孤独なジョバンニのかなしみ




















カムパネルラとの別れ




カムパネルラの死
 ジョバンニはカムパネルラと一緒に異次元をどこまでも旅していきたいと思っている。しかし、北の海で船が氷山にぶつかって沈んだ事故の犠牲になり天上にむかう途中の女の子とカムパネルラが親しげに話しているのを見て、ジョバンニはひとりぼっちにされたような寂しさを感じる。「(どうして僕はこんなにかなしいのだらう。……あヽほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだらうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろさうに談(はな)してゐるし僕はほんたうにつらいなあ。)」カムパネルラとどこまでも一緒に行きたいと願いながら、それがかないそうもないと予感していることがジョバンニのかなしさ、つらさの一因であるらしい。
 北の海の事故で死んだ、姉弟と家庭教師が天上に向かうために銀河鉄道を降りていき、カムパネルラと2人だけになると、ジョバンニは「きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」と言い、カムパネルラも「あヽきっと行くよ。」と答える。しかし、しばらくするとジョバンニの前に座っていたカムパネルラの姿が見えなくなってしまう。はげしい悲しみとともに、ジョバンニは夢から覚める。あとで、ジョバンニはカムパネラがほかの子供を助けようとして、川でおぼれて死んだことを知る。
 つまり、銀河鉄道の旅の途中で、ジョバンニとカムパネルラと別れなければならなかったのは、カムパネルラが他界に向かう途上だったからであることが最後に読者にあかされている。
 しかし、別のモチーフもここには、重なりあっていると思われる。というのは、「銀河鉄道の夜」の最後の稿にいたる前の第2次稿、第3次稿では、旅の終わりの部分でブルカニロ博士という人が出てきて、「お前はもう夢の鉄道の中でなしに本当の世界のはげしい波の中を大股(おおまた)に歩いて行かなければいけない。」とジョバンニに語る。この部分では、ジョバンニがひとりだちするには、カムパネルラと別の道をいかなければならないことが示唆されている。こうした点からも、この物語ではふたりが別れる結末が不可欠だったことになる。
少年から大人に移り行くコミュニタス的経験  つまり、銀河鉄道の夜には、少年から大人に移り行く過程での、日常から異次元にぬけだすコミュニタス的経験としての性格も与えられていることがわかる。
 少年から大人への途上にある同世代の仲間がともに、懐疑や葛藤や倫理的探究や希望をギリギリまでつきつめようとする。ジョバンニとカムパネルラの銀河鉄道の旅は、そういう極限的な経験という面をもっている。そして、ジョバンニの不安や悲しさは、その経験をともにする深い親密さがいつまでも続きはしないという予感からきている。そういう読み方もできるだろう。
地上に戻ったジョバンニにとっての「銀河鉄道の夜」・1を読む

ちくま文庫「宮沢賢治全集 7〜『銀河鉄道の夜』」より


子供から大人への過渡期の文学
作品の多義性、重層性
賢治の作品世界
宮沢賢治の宇宙