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■  神林章夫「信州大学経済学部 "組織は考える"」

 ユニーク入試、客員講師団など思い切った企てで注目を浴びた、信州大学経済学部の活動についての記録と考察の書をPDF化した。
 松井さんにとって神林さんは川崎セツルメントの先輩であり、松井さんがマルクス・レーニン主義について批判的な再考をはじめるにあたって大きな思想的影響を与えた。社会人になってからは別々の道を歩んだが、二人の間にはずっと親交が続き、重要な局面では連携プレイがあった。信州大学経済学部のユニーク入試の際の「ひとりひとり違う人間を同じモノサシで計るのはおかしいと思うな」というゲリラ的なポスターの制作にも、松井さんの同僚だったぴあの川口さんが関わっている。


■  「東大闘争の中から」(「溶鉱炉下の叫び」第5号)

 松井さんは川崎での工場労働者としての生活の後大学にもどり、東大闘争がはじまった1968年には、経済学部に学士入学し遠藤ゼミに所属していた。生活費を稼ぐためのアルバイトに忙しく大学には現れない日が多かったが、ストライキに入ってからは学生大会の時などに格調高い演説をしたため、全共闘の学生たちに一目置かれていた。
 神林さんは、東大闘争の時には、社会科学研究所の助手の立場で、助手共闘をつくり、教授会に対して痛烈な批判を行った。
 この文章は、神林さんが闘争の収束後に「溶鉱炉下の叫び」に寄稿したもの。「叫び」は、日本鋼管の労働者村川さんが川崎セツルメントの学生たちの支援をえて発行していた、ガリ版刷りの機関誌だ。


■  東條 巌「東京めたりっく通信物語」

 松井さんが創業したぴあ総研は数年後に文化科学研究所と名称変更し、さらに経営陣どうしが対立し3つに分解してしまった。その後、東條さんが経営する数理技研が借りていた新宿駅南口のビルの一室に、松井事務所がつくられた。やがて、ADSLの普及を妨げていたNTTと闘い、日本のブロードバンド時代への突破口を開いた東京めたりっく通信を東條さんが創業する。松井事務所もめたりっくバーの運営という形でこの事業に関わっている。


■  松井新次「体験、記録、伝承から見いだされる「故郷を失う物語」について」

 松井さんの次男、新次さんは、自分の取り組むテーマを求めて模索している。松井さんが亡くなってから、父が生前どんなことを考えていたのかを知りたいという思いを強くもち、「松井隼記念館」に収録されている文章を熱心に読んだという。
 父の断章に促されて新次さんは、自分なりにエッセイを書きはじめている。ここに掲載したテキストもそのひとつだ。ネイティブ・アメリカンやアイヌの体験と旧約聖書、これらは新次さんの関心の所在を示している。


■  「三浦幸雄遺稿集」

 三浦幸雄さんは晩年、東條さんと親交があった人だが、松井さんとは面識がなかった。しかし、学生時代に三井三池大正炭鉱の闘争に関わり、書生として谷川雁の家に住み込んだという三浦さんの経歴からもわかるように、まぎれもなく、松井さんと同時代を生き、苦闘した人だった。二人が出逢うことがあれば、よき論敵となったのではないか。「三浦幸雄遺稿集」編集委員会の許諾のもと、三浦さんの遺稿をAmigo欄に掲載することにした。


松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp