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松井さんの軌跡

「松井隼記念館」開設の趣旨

 松井隼さんが亡くなった後、遺稿や友人、知人の回想を編集して追悼集を出せないかという意見が出され、その形を検討するための編集委員会をつくりました。松井さんの遺した雑誌掲載文やノート類などを読みこむ過程で、まずウェブサイト上で編集するのが、松井さんの多元的な思考法に合っていると感じられるようになり、この「松井隼記念館」を開設するに至りました。
 松井さんの思考の特徴や問いかけを多くの方たちに感じとっていただける編集形態をめざしましたが、まだ不十分な点も多いかと思われます。皆さまのご批判をいただきながら、改善していきたいと考えています。
 また松井さんが執筆した文書、松井さんに関連する資料などで、わたしたちが入手できてないものがまだ多数あるのではないかと思われます。松井さんの思考や仕事をより包括的に把握できるようにするために、資料の蒐集にご協力いただければ幸いと存じます。

 松井さんが姿を多面的に浮かび上がらせるサイトにしていくために、松井さんをめぐる回想、挿話などを友人、知人の皆様からご寄稿をくださるよう、よろしくお願いいたします。
 このサイトを通じて、松井さんのことをはじめて知り関心をもたれた方からの、ご意見、ご感想なども大歓迎です。ゲストブックにご記入ください。

 
2007年 12月       
松井隼記念館運営委員会   
連絡先fieldlabo@as.email.ne.jp



 年 譜
1943年 静岡県に生まれる。

浜松西小学校
興誠中学校
浜松北高校

1961〜63年駒場寮時代 
MELT同盟の活動

1964〜65年川崎時代 住友ベークライトで働く
1966〜67年日吉に居住
日産の職工になった第4インター野上さんを支援する会議(大岡山)

1967年3月文学部哲学科卒
1968年経済学部経済学科に学士入学 東大闘争に突入
  ? 年奥津会計事務所
  ? 年インターパブリック博報堂 (現 マッキャンエリクソン博報堂)
  ? 年ビデオ・リサーチ
1980年ぴあ 入社
1981〜83年チケットぴあ の開発 創業
1985年ぴあ退社
1985〜87年NTT 、ダイエー、劇団四季などの顧問
需要研でさまざまなテーマの研究会
1988年ぴあ総研 設立
  ? 年文化科学研究所に改称
1996年病気入院
1996年10月中国旅行
1998年松井事務所設立
東京エンジェルズ 東京めたりっく通信

2001〜02年eペディア
2002年インテリジェント・ネットワーク研究所
2006年7月逝去   

松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp