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松井隼さんの思い出ぴあ総研・文化科学研究所
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*高萩 宏
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松井さんのこと

世田谷パブリックシアター制作部長 高萩 宏

 松井さんに初めてお会いしたのは1981年ごろ、「チケットぴあ」の立ち上げで劇団や劇場へのプロモーションをされていた時だった。石垣朗さんと二人で劇団夢の遊眠社の事務所を尋ねてこられた。システムについての説明とともに「チケットぴあ」が持つ社会的な意義について説明して下さり、僕は、てっきり松井さんも石垣さんも、このシステムを開発したコンピューターの専門家だと思い込んでしまった。その後直ぐ、石垣さんはコンピュータープログラムとは関係のない方と分かったのだが、松井さんについてはずっと理科系のコンピューター関係の方だと信じていた。独特な語り口と顎鬚が理科系の学者然としていて、本来なら白衣で、理系か工学系の研究室を、サンダルをつっかけて歩き回っているというイメージからなかなか抜け出せなかった。
 次にお会いしたのは、1989年か90年ごろ、半蔵門の国立劇場の近くだった。確か、ぴあ総研の立ち上げのころで、何人かのスタッフと一緒だったと思う。僕は当時東京グローブ座という不動産会社の共同出資で作られた劇場で起こるいろいろなことに疲れ果てていた。立ち話だった思うが、「これからは民より『官のお金』をどう演劇に使っていけるかですよ。」と話をしたところ、松井さんは「官はもうこりごり、これからは『民のお金』ですよ」とおっしゃっていた。その後、90年代半ば、僕はその時松井さんと一緒にいた重田房代さんと東京都のTOKYO演劇フェアの仕事、自治省(当時)関係の財団法人地域創造の仕事と公の関係の仕事を多くするようになったので、この立ち話のことはよく思い出した。
 松井さんの訃報を聞いてしばらくたったころ、読んでいた本のページから松井さんの顔写真が急に目に飛びこんできた。1991年に神奈川で行われた「地方の時代シンポジウム」が「芸術と地域」と題された本にまとめられてある。そこでの松井さんの発言が顔写真入りで紹介されていたのだ。「芸術の公共性」と題された討論の中での発言で、「言論・表現の自由と支援の関係」と小見出しがついている。少し長いが引用してみる。

 「芸術はあくまで表現活動で、ある種の言論活動であるという側面を持っています。実際のクリエーターたちは大変かたくなな方々が多くて、お付き合いは大変難しい。ただ、そのかたくなさの背景には思想みたいなものがあると思うのです。その思想を持った表現活動が、実際の芸術活動の内容であろうと思います。
もちろん伝統の中で、思想や価値観が社会の共有のものになってきている芸術もあるわけですが、必ずしもそうなり切っていない芸術、現在つくられつつある新しい価値観をめぐって、さまざまな対立が起こることは、当然この世界にあるわけです。そのときに、公共性は対立をいかに調整する機能をもつかということだろうと私は思います。
 最初の言論活動であるという言い方に引き戻せば、言論・表現の自由という近代社会の基本的な枠組みづくりの話に、ある意味で戻っていくことになると思うのですけれども、その言論・表現活動の自由と、実際に自治体なり、あるいは国なり、企業なりが芸術の領域に支援の手を差し伸べることが、いったいどういう関係を持つのかということを、問題意識として常に考えていたいと思います。」

 松井さんが持たれていた「問題意識」の捕らえ方の重要性は16年経った今も変わらないと思う。むしろ、インターネットの普及で誰でもが発言をできる状況になってきており、その中で「思想を持った表現活動である芸術」をどのように国や企業が、バランスを保って支援し続けるかは、ますます重要になってきていると思っている。あれから16年経ち、僕は1997年からは世田谷区という公の設置した芸術施設の運営を担当している。国からも企業からも支援を受けながら、芸術施設の運営をしている身として、松井さんの持っていた「問題意識」は常に心に留めておきたいと思っている。

松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp