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『文化産業論』

『21世紀への高等教育』
*4 高等教育の改革
 イ アカデミズムの問題

■ 学生時代の資料

21世紀への高等教育

ぴあ総合研究所 代表取締役 松井 隼/富士短期大学 フジビジネスレビュー Vol.3 No.1 (1992.9.1発行)

4. 高等教育の改革

 研究者・制作者に要求される能力はなにか。彼らのマネージャーに要求される能力は何か。それらの能力はどのような環境でどのようにして要請されるのか。これが問題だ。


イ) アカデミズムの問題

 企業組織とは反対に、アカデミズムは知的好奇心を伸び伸びと発揮する特権を与えられている。しかし、その特権と引換えに、アカデミズムは研究・制作者を教育し供給するべき高等教育を担うという巨大な役割をもっている。それ以前に、アカデミズムこそ知的生産性の向上について社会に対して思い責任を持っている存在である。
 しかし、日本社会のアカデミズムほどこの責任を放棄しているものはない。なぜなら、自分たちの知的生産の成果について正当な評価を要求するということがなく、従って、自分たちの仲間の達成した成果を正当に評価することもない。また大学がレジャーランドと化してもそれにたいして自分たちの責任を問うこともなく、ただ特権的地位を守ることに汲々としているのみである。
 アカデミズムの組織およびアカデミズムのコミュニティの構造ほど不思議なものはない。学術的成果によって評価がなされているかのように装うという最低限の慎ましさすら失っているようにみえる。
 企業の集団主義以上のたこつぼ的徒弟制度が支配するアカデミズムにたいして変革のダイナミズムを期待するのは多分無理であろう。明治以来海外の学術成果を翻訳紹介するという役割を担わされてきた日本のアカデミズムは「何が良いものか」を自ら考える習慣をその役割の中で長い間失った存在であった。知的好奇心を伸び伸びと発揮する特権をある部分から自ら放棄してきたのである。
 そして高等教育は彼らに委ねられている。


ロ) 企業の組織

 研究者・制作者が生産するものは「もの」ではない。彼らは「もの」に内在する「形」及び「もの」に与えるべき「形」を生産する。
 発見的・創造的なこの生産活動は、知的好奇心という個人の自立性に極めて大きく依拠して成立する。
 従来型企業組織の持つ集団主義は個人の自立性を抑えて成立するという点で、研究・制作の組織には不向きである。知的好奇心は従来型企業の中では充分尊重されない。知的好奇心は垣根の存在を無視するものである。しかし、知的好奇心の無制限な展開は殆ど遊びと同じ活動であり、企業組織という経済的存在の本質にそぐわないのである。知的好奇心を特定の目的に向けて制御しかつ組織するということが企業にとっての現代的課題なのである。残念なことに、多くの企業はこのような自覚に到っていない。その最大の証拠は発見的・創造的生産の成果にたいする正当な評価は何か、という問題意識が欠落していることに端的にしめされている。知的好奇心を動機付け制御し組織していくためには、それに対して正当な評価を与えていくことが最大の方法である。
 経済的評価はその第一番になされるべき課題であり、社会的名声という評価が第二番目の課題である。ついでに触れておけば、著作権・特許権・知的所有権の問題は海外貿易摩擦のテーマとされているが、いま述べている文脈の中では、知的生産を行う企業組織の在り方の問題となってくる。また、このことも付言しておくが、知的生産物への寄与を明示するクレジットの表示は狭義の文化産業において一般的であるが、従来型企業組織においては殆ど無視されている。
 集団主義の中の出る杭は打たれるという組織体質は知的生産には向かない。

 しかし、製造コストを開発コストが凌駕するという事実に支配される企業こそが知的生産性の向上という至上命題を抱えているのであり、知的生産の組織論をアカデミズムよりはやく作りだしていくことは間違いないであろう。そのような企業が高等教育の在り方の変革の主導権を握ることになるのではないか。
 企業から始まり、高等教育に波及するこの変革は、初等中等教育に及んでいくことになる。日本の教育制度全体の変革が不可避である。

    
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp