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文化再生産のシステム


上の図においては人が文化と環境の外に置かれた上で、文化並びに環境とやり取りするということになっている。
人はそのままで文化の要素となり、かつ環境の要素となる。ある人は他の人から見たとき、一つの作品であり、又別の機会には環境ともなるのである。

多くの場合人は他の人から見たとき上図でいえば。の領域に存在しているのであるが、もっと良く見れば人は肉体という自然を抱えておりこの自然は人々がデザインして作ったものではないから、本来はの領域に位置づけられる。
一人の人の自分自身との関係は、文化領域の自分との関係であると同時に肉体という環境としての自分との関係でもある。

絶えず外に出る人
上の図において、人が文化領域からも環境領域からもいったん離れた位置に置かれていることには、図示するための便宜以上の意味がある。
人は文化からも環境からも部分的に脱出する存在であるということだ。
脱出するからこそ、学習が出来るのであり、創造が出来るのであり、経験を積むことが出来るのであり、環境に対して働きかけることが出来るのである。

コミュニケーション/情報
人と文化領域の間のやり取りはコミュニケーションシステムとみることができる。 文化の生成・伝承・伝播などの現象は全てコミュニケーションシステムの機能として捉えられる。
人と環境領域とのやり取りはどうであろうか。人は環境を造形するが、そこで用いられる方法は、物理的・化学的・生物的な力の利用と、社会的な力(人々の動員)ということである。そして、社会的な力はコミュニケーションによって仲介された力である。
威嚇
誘惑
誤魔化し
説得
などの社会的コミュニケーションの原型が、罰・贈与・報奨・交換などに形を変えて社会システムの中に組み込まれ、社会的な力を生み出す。この社会的コミュニケーションの力の表層の下に、生物的・化学的・物理的な力が活用されていることは言うまでも無い。
従って、人と環境領域のやり取りは、広義のコミュニケーションシステムと呼ぶことが相応しい。私は文化領域並びに環境領域の両方での人のコミュニケーション全体をコミュニケーションと呼びたい。

文化と経済に関する第一の視点/世代間の文化継承
世代間の文化の伝承は経済現象として見る視点からは資産の相続と見える。
様々な文化資産と環境資産が親たちの世代から子供たちの世代に引き継がれていく。 この引き継ぎは養育と教育そして主導権の引き渡し、最終的に死をともなう権限の最終的委譲という形態で行われる。死は子供たちにとって、意味付けられた環境としての親が、環境から脱出してバーチャルリアリティーとしての作品の群れに移行することに他ならない。未知なるものを含まない造形の固まりである作品の世界と、造形の外にある環境とが奇妙な対照関係にあるということがここにも示される。親たちは死によって純粋に作品化されると同時に、未知なる環境となるのである。
経済現象として世代間の文化の伝承は市場における交換という経済活動の範疇を全く越えている。養育・教育・相続の全てが市場原理の外にある。しかしその経済活動の規模は巨大だ。20才迄の人口がしめる経済活動のボリュームを考えて見ればわかる。彼らが市場に登場するとしても彼らの持っている貨幣は市場的に獲得したものではない。社会を市場経済の論理で語り尽くすという経済学の野望はその視野の設定の段階で無謀であることが定められている。
養育や教育の市場を定めるものは文化の再生産という過程である。

主体
主体は環境を外部と内部に分かつ境界をつくるものとして存在する。
内部環境の安定を保持することが、境界として設定された我々主体の役割である。
境界は内部に属しているしまた内部が作りだすものであるということが明らかであるが、しかし境界を作りだす前には内部は存在しえないということももう一つの事実である。
境界が作られる前には主体は朦朧とした状況でしかない。主体は内部と境界を合わせて存在し、しかもその機能は境界に遍在している。境界は外部から内部への移動を点検し、また内部から外部への移動を点検する。点検のための様々な認識機構が境界に作られる。また、実際に外部から内部へ、あるいは内部から外部への移動のための通路が境界のどこかに作られる。認識機構はとくにこの通路の周辺において高度に発達する。

主体と主体の間の交渉
自分の内部及び境界を他者と交換するという現象がある。
この現象は内部環境及び境界の強化という効果を生むことを目的としている。

外部環境の疑似内部化
主体は外部環境の変動に対処するために主体に適した外部環境を作りだす。
外部環境を作りだす力は境界から外部に作用する。

外部環境の交換
主体と主体の間の交渉は拡大され疑似内部化された外部環境についても交換が行われるという状態が生まれる。

異文化交流を考える方法
一つの共同体的文化圏に一人の異人が入り込むという状況を設定してみよう。
かれは彼の出自である別の共同体的文化圏のもつバーチャルリアリティを身体化している。従って彼を受け入れた共同体はかれの語る全てに自分たちとはことなる・自分たちには意味もよく分からない何事かが隠されていることを感じとる。とはいえ、かれを受け入れたということは、かれの持ち込んだ異文化の要素を共同体が共有の対象にしたということである。
かれは共同体が自分たちの文化再生産システムのなかでは生み出しえなかった文化要素を持ち込むことによって、共同体にたいして強い文化変容を要請することになる。とはいえかれはその出自である共同体の文化再生産からは切り離されており、いま入り込んだ共同体の文化再生産システムの一つの構成要素となるのである。

一人の異人ではなく、複数の異人が共同体に入り込むという状況はこれとは異なる。複数の異人の出自を同じくしているものであれば、彼らは自分たちの入り込んだ共同体の中で、相対的に独立した文化再生産を始める。文化再生産は環境をつくり出すものであるから、共有の対象としての環境の文化的定義の矛盾が生み出される。

     
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp