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『チケットぴあの創業過程』
*(8) 立ち上げのパートナー---劇団四季か東宝かの悩み
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「チケットぴあの創業過程---今井仁さんインタビュー」

聞き手 山本 眞人
06年10月29日

(8) 立ち上げのパートナー---劇団四季か東宝かの悩み

今井:結局システムはそういうことで、NTTデータが全面的にやってくれて、ネットワークに関するハードもソフトもやってくれた。ネットワークについては公衆回線がやっとできたくらいの時で、専用線と公衆回線と、パケットが出始めた頃ですね。その3つを使い分けながら、ネットワークを自分で構築していく。インターネットなどない時代に自分でネットワークを構築しながらオンライン・リアルタイムのシステムを完成させるのは大した根気とエネルギーがいったのですが、松井さんは決して弱音をはかなかった。むしろ楽しそうにやっておられた。この人は根っからの開発人間なんだと感じたものです。そのアプリケーションソフト的なことはソフト開発の責任者杉本さんの下で、超スピードで進んで行った。田中丸君も石井啓子さんもソフト開発チームに入り、NTTの場所で混合チームでやっていた。一方マーケティング的なことに関しては、結局一元ファイルでなきゃいけないということになった。これは、プロモーターや発券元がチケットを預けてくれるかどうかにかかるわけです。そのへんの仕入れ営業の切り込み隊長で石垣君がプロモーターを回り、いろいろと活躍をしたんです。松井さんが特に悩んだのは、東宝の帝劇の支配人であった大河内さんという人がいて、(この方は東宝を離れ西武劇場の支配人になったりして、後で自殺してしまうんだけれども)その方が「帝劇としても応援してあげるよ、がんばんなさい」と言ってくれた。で、劇団四季の浅利慶太さんも、非常に自分の時代感覚と合う、これからやろうとしていることと方向が一緒だということに気がつかれて、ぴあの全面協力者になってくれたんですね。そのとき浅利さんは、ミュージカル「キャッツ」をイギリス、アメリカから興行権を買って来て、日本でロングラン形式の公演をやることを企画していた段階だったんです。それで、当時の仕組みだと(今も変わらないけど)、劇場を1年前に1ヶ月単位で押さえて、そこで公演のサイズが決まってしまう。開演後にお客さんからもっとやってくれという要望があっても延ばすことが出来ない。興行のスタイルから変えて行かないと、ロングランのミュージカルというのはできない。ロングランをするためには専用劇場をもたなければだめだということで、浅利さんは新宿のテント小屋を作るわけです。チケット販売については、それまで劇団員の手売りで、劇団員もそれがアルバイトで結構潤っていたんだけど、手売りの世界ではロングランには耐えられない。もちろん役者さんの権益を守るために手売りの世界を残すんだけれども、一担コンピュータに入れて、改めて発券して手売りの方法にも対応しかつ広範な販売力をもつ。そして公演が伸びる度に売り出しをかけていく。浅利さんはこれはもうコンピュータじゃないと追いつかないということを考えられて、最初、自分のところでオフコンを使って、小さな仕組みを作っていたんです。で、松井さんがぴあの構想を言ったら、これはこの小さい仕組みじゃなくて、そっちじゃないとだめだろうということになった。当時よく例えられたのは、小さい仕組みは50ccのラッタッタバイクみたいなもので、我々はダンプカーみたいなものだから、大味ではあるけれどもパワーはあります、という話でした。
 それで、結局、一方で大河内さんから、帝劇の「悲劇」というのでチケットぴあのスタート売り出しをやってくれないかという申し出があり、他方で、劇団四季の「キャッツ」の売り出しをチケットぴあでやりたいと言われた。「キャッツ」が続く限りはチケットぴあと共に歩くという劇団四季の浅利慶太さんの申し出と、松井さんはほんとうに悩んで、悩んだ末に、結局大河内さんのところに断わりに行くわけです。それで大河内さんがその後本当に悲劇になってしまったから、松井さんはだいぶ悩んでいらっしゃったようです。結局は矢内さんの判断で浅利慶太さんと組んで、「キャッツ」と共にチケットぴあはどんどん発展していくわけですね。で、準備段階である程度品揃えができてキョードー東京さんが協力してくれて、何だのかんだのということでググーッとチケットが集まって販売初日を迎えるんだけど、システムの正式スタートを迎える前に、半年間「キャッツ」だけを販売した。システムがどういう誤動作をするかわからないんだけれども、これはもうお互い様で文句を言わない。ただし、我々は半年間「キャッツ」だけを販売するということで、1983年の10月、「キャッツ」の売り出しと同時にチケットぴあがプレスタートしたのです。このとき劇団四季の担当役員は大島秀夫営業部長(のち専務取締役)と布施勝票券管理課長(のち取締役販売部長)でした。大島さんはまた数奇な出会いで、今井の大学の先輩でもあり、四季から独立されてしばらくしてぴあの社員となり、新国立劇場の初代営業部長を勤め、現在ぴあの執行役員になっておられます。大島さんと松井さんとは何日も何時間もかけて打合せ会議を持ち、われわれは当時参宮橋の商店街の2階にあった劇団四季の事務所に居つくように通ったものでした。売り出しの時は参宮橋の劇団四季研究所の体育館のような練習場所の一角にコンピュータ端末を何十台も運び込み、劇団四季電話予約センターを開設しました。当時研究生だった美人揃いの団員の卵さんたちが電話オペレーターになってくれて、コンピュータの画面とにらめっこして慣れない事務を、それでも持ち前のセンスの良さでさっさとこなしてくれるようになりました。彼女たちも今では大ベテランとして「キャッツ」をはじめ数々の劇団四季のミュージカルシーンで活躍されていることでしょう。布施さんのお姉さん的人柄が、立ち上がり期の徹夜続きのチームの気持ちをやさしく鼓舞していたのが印象的でした。そして1983年11月11日の日本初演を「キャッツ」は迎えて、以来20数年間、ずっと劇団四季とともにチケットぴあは発展してきた。どのように発展したかというと、「キャッツ」が大阪に行く時はぴあは大阪支社を出したんです。ぴあは大阪に予約センターを作って「キャッツ」のチケットを売った。ぴあ関西版も出した。「キャッツ」が福岡に行った時もそう、札幌に行った時も同じ。というわけで、劇団四季の広がりとともに、実はチケットぴあの全国ネットワークも出来て行った。  2007年「キャッツ」が5000回公演を日本で達成した影には浅利慶太さんの卓越したプロデュース力がありますが、バックステージではこういう人たちの縁の下の力が結集されています。松井さんも天国から「キャッツ」の5000回公演を覗いて喜んで観ていたことでしょう。


(9) プロモーターにとってのチケットぴあのメリット

今井:それから、プロモーターにとってよい仕組みを提供するという意味で、いろいろな工夫をしました。それまでプロモーター(発券元さん)は残券調査というのを、50軒以上のプレイガイドに電話しては、そこに何枚残ってるからこっちへ動かそうとか何とかやって、そのうちにわからなくなっちやったりということをやっていたんだけど、それを一元化したファイルに預けてくれれば、週一で販売週報というのを出しますよと言った。予約状態や、どこまでが売れてどこがまだ売れていないかという報告です。それから中間清算が必要であれば、売れた分についてはお金を渡しますよと。今までは興行が終わるまで全部プレイガイド側が押さえていたんですけど、資金繰り上お金がいるということで、ぴあが興行界のお金の流れもタッチするようになるわけですね。基本的には興行が終わってからお金を渡すという構造を、少し融通がきくようにした。それから演劇なんかの場合は、劇団員の手売りしかなかった世界を、一応メジャーな仕組みに載せられる。これは松井さんの発想だと思うんだけど、素人のオーケストラとか劇団とか、そういうチケットも載せようじゃないかということで、それこそ劇団四季の「キャッツ」から、学校の演劇クラブの文化祭のチケットまで売るという平等性、プロモーターに対する平等性。それから、今度は販売システムとしては、お客さまに平等にするという意味で、電話予約は何月何日に一斉に発売開始とした。電話を取った人から順番に割り付けて行く。松井さんはそういうのをどんどん決めていったんです。


(10) チケットの売り方--3つの流れ

今井:それは非常に正しい設計だったんだけど、私なんかがどんどん白紙に絵を描くように案を書き松井さんが決めて行った。3つの売り方をしようと。パイロットショップ的なアンテナショップ的なぴあステーションは直営。都内の主だったところ4、5箇所に設定して、あとは委託店のぴあスポットというのを作る。で、電話予約センターを作る。ということで、最初の売り方は、ぴあステーションに行って直接買う。それから電話で予約をして、ぴあスポットに予約番号で取りに行く。それから、電話で予約をして郵送で取り寄せる。その3つの売り方を設計しました。電話予約センターで日曜日に売り出したら、わかりやすいようにお客には1週間と伝えるんだけれども、実は8日間予約は成立させておく。つまり、日月火水木金土日、で、「1週間以内に取りに来てください。」とお客様には伝えて、翌週の日曜日の夕方まで予約は生きている。それを過ぎると予約は流れちゃうという仕組みをつくった。

    
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp