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松井隼さんの思索社会システム設計
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『21世紀への高等教育』

『チケットぴあの創業過程』
*(18) チケットVAN(バン)の立ち上げ
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「チケットぴあの創業過程---今井仁さんインタビュー」

聞き手 山本 眞人
06年10月29日

(18) チケットVAN(バン)の立ち上げ

 要するに、チケットぴあのシェアを大きくして、プレイガイドを通じてのシェアが下がってしまえば、抵抗ができなくなるという判断だったのですかね。

今井:販売力の競争をするというのが、本来の流通の正しい姿であると松井さんは言っていました。だから、後にチケットVANという会社をNTTと合同で立ち上げるんですけれども、それはチケットセゾンとか丸井チケットシステムとか東宝のシステムとかがいろいろ出来て、そういうのがファイルを分ける結果になってしまったんです。それはやっぱり当初のビジョンにそぐわないということで、チケットVANという、ファイリング、データベース会社を立ち上げたんです。私もそこに出向して、チケットVANの仕組みを売り込んだんです。セゾンと丸井にだったかな、ローソンというかダイエーチケットはまだそんなにやっていなかったから。まあ、主にセゾンです。一緒にファイルを一元化して販売の競争をしましょうよと提案した。それが正しい競争であるというのが松井さんの理論であった。それでわざわざチケットVANというのを作ってまでして誘ったのですがね。そこが今でもチケットぴあのファイル管理をやっているわけです。

 構想としては、セゾンとぴあは、販売は競争するけど情報は共有するということですね。そういう構想に対して、セゾンの側は

今井:乗ってこないです。

 当然乗ってこない。

今井:やっぱり独自の仕入れ、独自のファイル。考え方としては松井さんとか社長の考え方の方が、社会的には大きな許容量のある考え方であって、我々の仕組みもそこに入れる、セゾンさんも丸井さんもやりましょうよと言った。結果、セゾンはだめだったんだけど、丸井さんは自分で仕組みをやっていけなくなって、渡りに船とそれに乗って来て、結局丸井チケットシステムは実質的になくなってしまってぴあシステムが入った。名前は丸井チケットシステムを残しました。


(19) 劇場チケットシステム

今井:さらに一元化したファイルでという考え方を押し進めていって、劇場チケットシステムというのを作ったんです。サントリーホールとかオーチャードホールとか、そういう劇場単位で予約センターとかチケットセンターを運用したいという大きな劇場もあるわけですね。そこに対してOEM供給をしたんです。ですからサントリーホールが立ち上がる時というのはぴあのスタッフが入ってそれを運営した。今の新国立劇場とか府中の森、相模大野のグリーンホール、パルテノン多摩とか。私がずっと営業していって、10箇所ぐらいにチケットシステムのOEMを入れたんです。それに予約センターの要員派遣もやっていた、派遣業みたいなこともやっていて、だんだんそれがレセプショニストという新しい劇場ホールつきの案内係の職種を生むようになった。その運営を請け負う会社をサントリーが作って、それがだんだん勢力を増していって、客席の案内以外にもチケットの予約センターから窓口業務、販売業務を自分達がやりたいと言い出した。最初は曖昧な感じで、劇場側からそういうふうにしてくれと言われてそういうふうにした所もあるし、ぴあが端末操作を教えた所もある。今はどうなっているのかな、やっぱり混在しているんじゃないかな。ぴあ要員が行っているところと、そこの小屋付きのレセプショニストがやっている場合と、それからサントリーのようなレセプショニスト派遣業みたいなの。たとえば初台のシンフォニーホール、武満徹メモリアルホールとか。あそこはサントリーの人が入っているんですよね。それで予約センターとか端末業務は我々が教えてその人たちがやっている。だけど、大もとはチケットぴあの一元ファイルの中にあって、劇場の端末でもとれるし全国販売でもとれるということで共用しているというのが現状です。そのうちNECが、我々にとっては裏切り行為をやりまして、オフコンレベルでホール管理システムというのを作ったんです。その中にチケットの販売システムも乗せたような形跡があった。ホールの管理システムは我々も作ったんですが、我々の開発チームがN5200の単体しか扱えないチームで、オフコンでの複数画面ができなかった。NECは、ホールの何日は何時から何時まで貸し出すとか、そういうホール貸し出しのスケジュール管理システムを作った。我々はそれも乗せたチケット販売システムを作った。私もホールへの営業で思ってもみなかったNECと販売競争する羽目になったのだけれど、NECの方がどんどんホールに入っていった。しかもNECの開発責任者は、元チケットぴあ担当のNという部長だった。困ったもんだ。興業やチケットの世界をちらっと見て、これはいいぞというので開発したみたいです。転勤して、自分の手柄を作らなきゃいけない立場になったんでしょうね。それで、結構全国で何百台か売れたみたいです。それまで台帳をめくって何月何日空いてますとかいうのを、コンピュータで窓口でやれるようになって、市役所の本局でも文化センターでもホールの予約が出来るとか、便利なのでそういうのがだいぶ入ったみたい。それで調子に乗ってその元担当部長はチケットぴあに繋いで欲しいと来たらしい・・・まあ お客様や業界にとって良いことは、すべて良いと考えるのが松井流でしょうから良いのですが・・・

    
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp